ぽんこつ日記

ぽんこつな話をしていくよ

労働組合の組織率が過去最低らしい

 まぁ当然だよなって思う。組合ってなに?美味しいの?って感じだわ。

 オイラこう見えて組合の役員をしている。もともと関係なくて、モロ左翼の組合役員にガツガツにやられていた。ほんとえげつないなと思う。結局精神科に行くほどに追い込まれた。

 そんでそいつから異動で人がいなくなったから活動に参加しないかと言ってきた。勝手なこと言うなよ、さんざん人を仮想敵国に仕立てて攻撃して、秘密会議でいいように尾鰭つけてコキ下ろしてたくせになと思った。だけどここは懐に飛び込むしかない。嫌ですなんて選択肢はなかった。だから役員も引き受けて活動に精を出した。

 平たくいえば、その左翼闘士におもねって行動するしかなかった。そんで気をよくしたのか、なぜそんなに活動するのか?と問い詰められたこともあった。仕事前に喫茶店に呼び出されて、どうしてそんなに頑張ってるの?義務だからやるの?ちゃんと意義をわかってやってよ!って。もうね、たまんないよ仕事前に呼び出されて詰められるのは。てかどういう答えを求めてるのかようわからんから、忖度のしようもない。まぁただのいびりなんだろうけどさ。

 まぁ大きな企業はどこもそうなんだろうけど結局はもう求心力がないから、古参の左翼闘士たちが組合抜けたらどうなるかわかっとるな!左翼行動に反したらわかっとるよな的な恫喝左翼主義になって久しいのだろうけど、既得権益に守られた層が堂々と下の層に向かってそんなに金が欲しいの?とかほざいたり、処遇よりも反自民!反権力!とかふざけたこと言ってて、クソでしかない。

 オイラは頑張って加入率を増やしたり、個人で組合新聞を書いたりして頑張った。そしてそれなりに立場を作ってきた。ゴリゴリやってやったと思っている。今までは言葉を選んで慎重にモノを言っていたが、最近はもう怒りで押さえが効かなくなってきた。

 組合的には処遇なんて二の次三の次で、大切なのは組織率を上げて組合費を確保すること、次に選挙、まぁあとは…処遇はそこに書いてあるから読んどいて。それより役員の成り手がいないから、やりがいを持てるような方策を自ら考えてね♡と。

 もうね、そんなノリで本部の人間に会議で言われたら○スぞ!って気持ちになる。最近はそんなやつも来なくなった。自分たちで話し合って忖度した意見をメールしてねって感じになった。

 そんでからして処遇を下げるけどしょうがないよね?格差是正するためには必要だからと。もうそんなんだったら加入してる意味がない。組合費をペイできない。しかも未加入者との区別があるわけでもない。そんで無給で活動をやれ選挙をやれと。アホかと。

 おまけにさ、組織は加入者を増やして搾りとることに精をだす一方で、左翼闘士は革マル派の浸透を狙ってコソコソとなんかやってる。本部がどれだけ関係してるのか、黙認してるだけなのか、それもよくわからない。もう組織対策費なんてないとはいうけど、本当のところもわからない。確かなのはそういう左翼闘士こそが既得権益に守られたブルジョワだということ。

 オイラ言ってやった。もう選挙はできないですね。組合がなくなってもいいの?って言いますけどこれって労働組合と言えるんですか?利権団体ですよね?おまけに枝野は消費税減税は失敗だったって。立民を支援する意味なんてあるんですか?…オイラ会議でバシッと言ってやったよ。おいらと同じような新世代はやっぱり同じように思ってるから、古参の左翼闘士はピキピキっとした空気を出しとったけど、何もいえずにぐぬぬって感じだった。

 御用組合ってどんなんだろう。総務系の人が専従になって、また人事やら総務に戻っていくと聞く。それなら仕事の一部だから報われるよね。しかも専従なら給料も出る。

 オイラは日当が出る。2時間で千円。これでも多めにしてあるらしい。本当は500円プラス交通費らしい。労働組合ならせめて最低賃金を守ろうよ!え?ポランティア?だったら組合費も志で運営しろよ。カンパを変な団体に回すなよ。部落団体の協力要請なんてやりたいやつでやればいい。

 もう組合はオワコン。とは言わない。やっぱり労働組合は必要だけど、いかんせん既得権益というか利権化しすぎ。そんな団体から人々が離れていくのは当たり前な話である。

 まぁ左翼ごっこはよそでやれよということですよ。

 

アルゼンチンが優勝して…

 カタールワールドカップはアルゼンチンがドラマティックな優勝をしたが、スタジアムにいろんな有名人が来てて、誰だろうと考えたりもした。

なんでマクロンがいるんだと思ったり、ん?これは有名人なの?と思ったり。そしたら長髪の人が映ってて、もしやと思った。

 オイラここ10年くらいはまったくサッカーへの興味を失っていて、オイラ地元のテーマの選手すらわからなくなってしまった。けど昔はリーガとか見ててJリーグも何度か見に行った。その頃のオイラのヒーローはレドンドだった。長髪をなびかせて左足一本で相手を翻弄し、ともすれば神経質に見えるような繊細な風貌でハードでもエレガントなプレーをしていた。

 そしてオイラは一瞬チラリと映った人長髪の人がもしやあのレドンドかと思ったのだ。でも待てよ?レドンドってどんな顔だっけ?ずいぶん思い出補正がかかってよくわからないなって思った。そんでググったんだ。

 ちょっとした驚きだった。思ってたよりゴツい顔をしていた。なんていうかアメリカン。そう、アメリカンな顔をしていた。そんでサジェッションにあった現在のご尊顔を見てみたら…これはもう貴族!エルプリンシペ!そこはイメージ通りで嬉しかったんだけど、だけど長髪やめたんかい!結局やめたんかい!

 まぁ勝手なファン心理なんだけどさ。オイラなんてしょっちゅう髪型変えるくせに勝手だよね。もうぷくぷくに太って昔の面影も微塵もない。中学校のころオイラのことを好きだった子は今のオイラを見てどんなふうに思うんだろうね?

 

何はともあれメッシはよかったね。

コンビニの必要性

 ネットのニュースでコンビニの数が初の減少に転じたというニュースがあった。記事はそのニュースに対するネット民の反応をメインにしたものだったが、一様に冷ややかな反応というものだった。

 曰く、ドラッグストアのほうが安くてスーパーのほうが弁当は美味しい。曰く、住宅街には不良の溜まり場になるだけでいらない。曰く、24時間営業はもうコンビニだけじゃない。曰く、合併買収が進んで目新しさがなく飽きた。などなど……

 本部だけが儲かり、オーナーが疲弊しながら維持するビジネスモデルに対する疑問もあった。同時にオーナーの企業努力に対する批判もあった。が、その記事の論調自体がコンビニはオワコンというものである。

 オイラね、なんだかなって思った。もうおっさんだから実家暮らしという表現はナンセンスな世代なんだけど、家族で暮らしている人にとってはそれほどは必要ないかもしれない。でも独り暮らしのオイラはバリバリ活用している。使わさせていただいている。

 オイラの住んでるところも半径500メートルにコンビニが5軒ある。全部黒字かは知らん。でもしっかりお客が入っている。ここは都会なんだ。特急が止まって各線に分岐する駅があるんだ。そこから徒歩9分のところに住んでる。

 なかなか想像しにくいよね。いわゆるその都市を代表するような巨大駅ではないんだ。各社が乗り入れるターミナル駅でもない。古くてこじんまり。でも一応百貨店があるんだ。昔のデパート的な。ちょっと、いやだいぶノスタルジックなんだけど、味があってオイラは好きだ。

 そんな都会真っ只中に住んでるオイラは交代制の勤務をしている。そしてオイラが仕事を終えるのは22時が多い。残業じゃなくて定時でもそうなんだ。交代制だから。

 そんで仕事終わって飯食いたいなぁと思ってもマックやらガストやらはあるけど、基本的に店は閉まってる。そもそも寝ることを考えると家で風呂の後にまったり食いたいっていうのもある。だからちょっと20分以上かけて24時間スーパー行くか、外人経営の中華料理屋行くとか、ファストフードでテイクアウトとかそんな感じかな。

 でもさ仕事してきて、心身ともにふぃ〜ってなってるときに自炊とかありえないし、インスタントやレトルトもごめんだと。そんなクタクタの時はあんまり遠くに行きたくない。でも肉が食いたい。米が食いたいってときに徒歩3分のコンビニにちろっと寄って、カードで払うからと、弁当だの、おにぎりだの、アイスだの、ぽんぽんカゴに放りこんで大人買いしちゃう。

 きっと食べるもののためだけじゃなくて、ストレス発散にもなってるんだろうね。買い物依存症ちゃうんか?って言われそうだけど、その日だけじゃなくて次の日の朝にも食べたり、アイスとか日持ちするものを徐々に消費してるわけだから無駄ではない。無駄ではないのだよ!

 でも確かにコンビニで4千円越えとか無駄遣いの極みみたいに思うかもしれない。自分でもちょっと感覚が麻痺してるのかなとも思う。記事にもある通り、スーパーやドラッグストアのほうが安い。でも開いてなかったり、遠かったりで消極的選択肢なんだけど、消極的でも選択肢があるのはありがたい!

 田舎の寮とかに住んだら何食うんだろう?パンとかかなあ。食パン焼いたりするのもめんどいから、ジャム挟んだる長細いやつ買い込んで、水と飲み込むのかな。あとはチンするご飯と漬物みたいな。心のバランス崩して風俗とかにハマるとか、課金に走るとかありそう。

 そんなオイラはアマゾンのヘビーユーザーでもある。そしてコンビニ受け取り。きっとオイラのあだ名はアマゾンくんに違いない。通販の問題は受け取り。再配達の電話とかめんどいし、寝てるところをピンポンピンポン…ドキッとするし殺意しか湧かない。だから宅配とかを家で受け取るのは嫌なんだ。

 頼りになるのはコンビニだけだ。まさに社会インフラ。トイレでお世話になることも多々あるだろう。オイラの勝手な言い分だけどさ、あれは義務付ける代わりに有料でもいいと思う。できればキャッシュレスな方向で。ギリギリの時に札を読み込まないとか、なんやかんやは勘弁だぜ!さっとタッチで排泄させて欲しい。

 気づくと長々と段落も作らず書き連ねてしまったが、ぽんこつ故に段落を作ったり、目次を作ったりはできない。ああゆうのやりたいんだよね。

要するにオイラにとってはコンビニはなくてはならないものだってことよ。

ぜんぜん更新できない

仕事がいそがしく余裕がないっていうのもあるんだけど、空き時間を使ってささっと文書を書くほどの才があるわけでもなく、テーマに対する感度も下がってしまっていた。

なんかちらっと思うところはあるんだけど、それを広げて一つの投稿にするのは何日もかけたりすることになって、結局その余裕がないと放置になっちゃう。特に最近は仕事で書き物をするので、そこで文章力を使いきっちゃう。

ちょこちょこっと思い浮かんだこと、気づいたことを表現したいときに、ブログっていうのはちょっと小回りがきかないというか、大げさな気がする。そう思うとツイッターがいいのかなという気もする。

ツイッターがメジャーになってから久しいというか、ネットでも当たり前のように大きな存在だが、なんか最初にとっつきにくいと感じたからか、はたまたつぶやくとか人に聞かせたがるような自己顕示欲はない!と斜に構えていたせいか、なんか馴染みなくきてしまった。というか使い方がまったくわからない。でもこれを機に手を出してみるのもいいのかなと思ったよ。

小室圭報道にみる違和感

ちょっと前のことだけど、小室さんが借金の件で初めて文章を公表した。それを受けての報道は2つの論調に分かれた。1つは文書公表自体や内容のまずさを言うもの。もう1つは、話し合うって言ってるんだしいいんじゃない?というもの。そもそも母親の借金なんだしと。

オイラは後者に猛烈な違和感をを感じる。後者には元婚約者も金のこといつまでも言いすぎだよっていう指摘もついてくることが多い。

でもさ400万くらいって言う文化人やその他の人がいるけど、一般人にとっては平均年収をちょっと下回る、そんな金額だよ?いいじゃん貢いでくれたんだから……そういうレベルの話じゃないよね。

オレが400万くれてやるって言った人もいたけど、いかに常識がないか、世間と乖離した金銭感覚で生きているのかを世間に知らしめただけで、国民が思うところの問題からずれているのではなかろうか?

国民が小室家、そして小室圭に対して、あれ?この人たちちょっと関わりたくないタイプ、ましてや結婚相手なんて!って思うのは、その金銭感覚のルーズさと図々しさ、そして都合の悪いことを隠す嘘つきなところだよね。

たしかにオンナに貢いだ金のことをとやかく言うのは格好の良いものではない。でもちょっと用立てて!って言われたら男として断れないし無理もする。そのあげく運転手扱いのお財布係からのポイ捨てってないわ。人としてないわ。その人を見下す生き方、タカリ体質。

贈与だと認識しておりますって、そういう言い方なかなか出てこないよね。ちょっとしたパワーワードになっちゃってる。

実はオイラも女性にお金貸してあげたことがある。きっちり返してきたよ。ちょいメンヘラな子だったけど。ゼニに関してはきっちり。

別の子もやたら店をハシゴされて奢らされだけど、最後の店は私が払うって出そうとしてくれた。まぁオイラが格好つけて払っちゃったけど。でも別のときに出してくれたな。悪いからって。タクシー代もレシート見せてお釣り渡してきたから、とっときなってカッコつけたけど、レシート見せてくれたからこそ信じてそういうことができるじゃん。

やたら家系に自殺が多いのもあるし、こういう人が一家に加わるんだなってことに抵抗感はないんだろうか?ええんちゃう?って言ってる人は人ごとだからじゃないだろうか?自己責任ってことなんだろうか?

でも、相当だよ?相当な人達だよ?ジェンダー論に絡めて小室叩きを論ずるコラムもあったけど、竹田恒泰が言ってたように借金云々じゃなくて人柄、人間性の問題じゃん。竹田恒泰は好きじゃないけど、誰もがそう思うところだよね。ええんちゃう?って人も反対する必要はないと言ってるだけで祝福はしていない。

結婚は当人の問題というけれど、祝福されない結婚は幸せになれるんだろうか。それでも幸せという話もよく聞くけど、そういうのって実家の親が反対ってだけで祝福してくれる人はいるよね。

結局はどう落ち着くんだろうね。

タトゥーと銭湯

最近よくスーパー銭湯的なところに行く。温泉名乗ってたりそうでなかったり、とにかくでっかい施設にいくつかの風呂があって露天風呂があって食堂が併設されててごろ寝スペースがあるみたいな。

職場で行き詰まったときに実家によく帰った。実家はなんかホッとできて、そのころずっと続いていた心臓あたりの痛みがすっと無くなるんだ。

親孝行と世話になるお礼をかねて、ちょくちょく田舎の温泉施設に母親を連れていった。自分はそれほどでもなかったけど母親は温泉が好きで行きたがった。

田舎の露天風呂は眺めがいい。都会と違って壁も低めだし、山並みが見えて心なごむんだ。ジャグジーっていうんだろうか、内風呂には大抵泡の出る風呂がある。ジェットバスみたいにびゅーってやつじゃなくてぶくぶくするやつ。

そのぶくぶくに浸かっていたら、なんというか泡にストレスも洗い流されるような気がして、とってもすがすがしい気分になった。当時は本当に病んでいてストレス解消方法を真剣に探していたので、これだ!って思ったんだよ。

ストレス解消なんて真剣に探すもんじゃない。自然に興味が湧いてやりはじめたものがストレスの解消につながるという話であって、たいてい解消のために始めたことなんて新たなストレスになるのが関の山。そもそも何かしようなんて気にもならない。

それでもなんとか苦しみから解放されたくて実家に帰ってプチ旅行してみたりドライブしてみたりとやってみた。で、なんかイマイチだったのがようやく泡風呂でこれだ〜!って感じを得ることができた。

それ以来近所のスーパー銭湯に行くようになった。何度か行くにつれて好みもかわり、露天風呂が好きになった。露天に浸かって空の雲を目で追う。飛行機雲をぼんやり眺める。そのうち外で日光浴をするようにくつろぎながら風に当たって空を見るのがストレス解消になっていった。

いつも行く露天風呂は更衣室が見える。更衣室から露天風呂が見えるというべきか。ある日ぼーっとしてたら窓際のロッカー使う人が目に入った。驚いたのはその人が胸にデッカくワシのタトゥーが入ってたんだ。

いやあんまりにも堂々だからびっくりしちゃったよ。あれ浴室ではタオルかけてるんだね。でも結構鋭い目つきでまわりを威嚇するじゃん。別の銭湯で見たやつもそうだった。腕の真ん中に輪っか状のタトゥー入れてたんだけど、ロッカーキーを巻きつけてごまかしながら肩からタオルかけてた。ダブルタオルってようわからんなと思ったら入墨隠しだったんだ。

タトゥーは文化って言うけど、日本においては結局は威嚇の道具。覚悟云々言うなら銭湯とかくるなよって思う。庶民の憩いの場なんだからさ。

人のいる場に出てきて怖がってもらうのが目的なんだから、そういう行動になるんだろうけど、文化だのなんだの理屈をつけるのが欺瞞に満ちててすっごく嫌。

でもだんだんとアメリカみたいにタトゥーびっしりで肩怒らせてみたいな世の中にはなっていくんだろうね。暴力的なものが基準軸になるっていうのはイヤだし、退化してると思う。

日本も戦国時代のような暴力的な時代があった。そんな頃は引きずるような長い刀持ち歩いたり、婆娑羅な格好したり、今でもマイルドヤンキー的なオラついたクルマが流行ったりしている。

でもちょっと振り返ると80〜90年代はフロントガラスまで黒くして中が見えないフルスモとかあった。そういう意味ではクルマの世界では暴力性は減った印象がある。

江戸しぐさみたいな嘘くさい押しつけがましい価値観もお断りだけど、お互いを尊重する社会が結局は生きやすいんじゃないかなと思う。

なんかタトゥー論からずれちゃったね。

 

休日

今日は休みだったんだ。夜勤明け。明けなんだけどある活動の会議があって解放されたらお昼になっちゃった。

昨晩はすごく忙しくトラブルも多かった。諸先輩方がめちゃんこ残念で、しかも自分のことしか考えてなくて、自分の仕事なげうって助けやって……

まぁ、おきまりのグチになるんでやめよう。そんで以前からうまいもんが食べたくて、でも動くのがめんどくさいからポテチ食べて終わったりとかそんなばっかだったから、今日の昼はうまいもん食おうと思ってた。

手っ取り早く回転寿司でも行こうかと思っていたけど、何度か行ったことのある洋食屋に行きたくなった。ホタテフライがレアな感じでチキンカツがプリっとして美味しい店なんだけど、その日はヒレカツとホタテフライにした。ついでにビールの小瓶も頼んで至福なひと時であった。

結構ひさびさに行ったんだけど、帰りしなに女将さんにいつもありがとうございますって言われて覚えてるんだなぁって思った。覚えやすい顔なんだろうか?よく言われるけど客商売の人は人の顔を覚えるのが得意なんだそうだ。

ぷらぷらしてから帰ろうかと思っていたが、近くの神社が目に入ってひさびさに行ってみようかと思った。博物館みたいな施設があって前々から行ってみたかったんだ。

展示内容は明治の偉人の書と古刀がメインであった。明治天皇の書はさすがに達筆だった。百人一首って感じ。教養ってこういうことなんだなって感じた。

西郷どんは手紙がいくつかあったが、おいらと同じ長文派だった。結構達筆だったのは意外だった。山縣有朋はそうでもないなって思って安心した。

刀って初めて見たわけじゃないけど、改めて見るとごっついなって思う。まず太い。そして長い。太刀と言われるものは大きいのは想像がつくけど、おいらのiPhoneとおんなじような幅があるんじゃないかみたいな刀は実用だなって思った。

古い刀はなんか中古の時計みたいなキズがちょこちょこあるんだ。光の反射加減でしっかりと見える。実戦経験があるんだろなぁと思わせるようなキズがあって、平安時代の作のやつなんか刃のところに明らかに欠けたようなキズがあってキンキンっていう時代劇のチャンバラみたいな出来事を実際に経験したんだろうなって思わせた。

面白いと思ったのは岡田切ってやつで、岡田さんを切ったから岡田切。とんぼとかそんなレベルじゃない!岡田さんを切っちゃった。言うなれば殺人事件の凶器がそこにあるようなもので、そう思うと名刀の凄みを感じざるを得ない。しかし名刀の名前になるなんてどんな感じなんかなぁと、岡田さんに思いをはせた。

岡田切。出入り業者の小田桐さんがお国なまりたっぷりで50と言ったのを、え?ギョンズ?って聞き直しちゃった甘酸っぱい思い出がリフレインしたよ。

そのあと前から気になってたサイケな古着屋を探検して、廃墟みたいな時計屋のぞいてみたら明らかに社会不適合者みたいな亭主がショウケースに突っ伏してだけど、挨拶に驚いたようにパッととびおきた。

本当に廃墟のようでわずかに残る売り物のメガネは埃が被ってて、ショウケースのなかには手巻きや自動巻が標準だったころのものが時が止まったようにポツポツとあった。その中でも指輪型の時計はとっても珍しいものだなと思った。子供のころおもちゃでそういうのを見たことはあったけど、手巻きの婦人時計にリングがついてるのは本当に珍しいものだった。

そして帰り道の交差点で6気筒のバイクを見た。ホンダのやつ。珍しいものをいっぱい見た1日だったよ。